海のはじまり最終回炎上!予告の弥生のセリフ言ってないって本当?感動の最終回…のはずが、まさかの炎上?一体何が起きたのでしょうか?Snow Man目黒蓮さん主演の月9ドラマ「海のはじまり」。

最終回は感動的なラストを迎えた…はずなのに、「炎上している」という噂を耳にしました。

一体どういうことなのでしょうか?今回は「海のはじまり」最終回が炎上した理由を深掘りしつつ、ドラマ全体の感想もまとめていきます。

最終回あらすじをおさらい


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最終回では、すれ違いから別々に暮らしていた夏(目黒蓮さん)と海(泉谷星奈ちゃん)が和解し、再び一緒に暮らし始めます。

物語のキーパーソンである水季(古川琴音さん)が夏に宛てて書いた手紙には、「夏くんには、大きくなっていく海の足跡を、後ろから見守ってほしいです」「夏くんも、誰かと生きてね。

海を幸せにしながら、自分も幸せになってね」といった、夏と海への温かいメッセージが綴られていました。

海岸を歩く夏と海の後ろ姿、そして水季の言葉で締めくくられた最終回は、「海のはじまり」というタイトルの意味を回収した感動的なシーンとなりました。

なぜ炎上? 視聴者の反応は?


7月期月9ドラマ『海のはじまり』 最終話・予告 9/23(月)よる9時放送

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予告編と最終回でセリフが違った?

最終回放送前の予告編で、弥生(有村架純さん)が「夏くんのこと好きだった。

頑張って忘れようとしたらもっと寂しくなった」と語るシーンがありました。

しかし、実際の最終回ではこのセリフは使われていませんでした。

この変更に対し、「予告詐欺だ!」「あのセリフを聞きたかったのに…」といった不満の声が多く上がりました。

また、「ドラマって予告詐欺することが多々あるから…」という意見や、「変な繋ぎ方してウソ予告みたいで騙された気分」といった批判も見られました。

水季の手紙の内容に賛否両論

水季の手紙の内容については、「きれいごとすぎる」「自己中心的だ」といった批判的な意見が出ています。

特に「夏くんも、誰かと生きてね」という部分に対しては、「7年間も夏に海の存在を隠していた水季が言うのはおかしい」という声もあり、炎上の一因となりました。

また、「あかん、手紙の内容が無理すぎる」「何様なんだろう。

上から目線の傲慢な内容」といった辛辣な意見も存在しました。

水季の行動が夏の人生に大きな影響を与えたことも、批判の背景にあるようです。

予告編と最終回でセリフが変更された理由とは?

予告編で使われた弥生のセリフは、実は2つのシーンのセリフを組み合わせたものでした。

ひとつは海から夏への伝言を伝えるシーン、もうひとつは弥生が自身の過去を語るシーンです。

意図的なミスリードだったのか、単なる編集ミスだったのかは明らかではありませんが、この編集が視聴者の期待を裏切り、炎上へとつながったことは確かです。

水季の手紙は本当に自己中心的だったのか?

水季の手紙の内容には、確かに矛盾を感じる部分もあります。

例えば、夏に海の存在を隠していた水季が「夏くんも、誰かと生きてね」と言う点。

しかし、手紙の中には「内緒で産むと決めたこと、後悔していません。

夏くんがいなかったけど、海と過ごせて幸せでした」といった、夏と海への愛情を示す言葉も綴られており、決して一面的な自己中心性だけで語れるものではなかったのではないでしょうか。

水季は、夏と海、そして自分の3人で幸せに暮らす未来を夢見ていたのかもしれません。

ドラマ全体の感想

ドラマ全体としては、親子愛や家族の温かさを描いた感動的な作品です。

血のつながりがない親子、突然父親になった夏、葛藤しながらも成長していく姿は、多くの視聴者の共感を呼びました。

有村架純さん演じる弥生は、夏を支え、海に寄り添う姿が「理想の女性」として印象的で、彼女の冷静で穏やかな雰囲気が作品の大きな魅力となっています。

その他、海の祖母・朱音(大竹しのぶさん)や、水季の元同僚・津野(池松壮亮さん)など、魅力的なキャラクターたちがそれぞれの立場で物語に厚みを与えていました。

結論

「海のはじまり」最終回が炎上したのは、予告編と最終回でのセリフの違い、そして水季の手紙の内容に対する賛否両論が大きな要因です。

しかし、ドラマ全体としては、親子愛や家族の温かさを描き、視聴者に多くの感動と考えるきっかけを与える素晴らしい作品でした。

今回の炎上騒動は、ドラマ制作における予告編の役割や視聴者とのコミュニケーションの難しさを改めて浮き彫りにした出来事であり、家族の形や人生の生き方について考えさせる貴重な機会となりました。